Hedy Lamarr(ヘディ・ラマー)って誰?女優・発明家・映画初ヌード
Hedy Lamarr(ヘディ・ラマー)って誰?女優・発明家・映画初ヌード?
1914年11月9日に生まれたヘディ・ラマー。
ヘディ・ラマーは美人女優であり発明家という多彩な才能に恵まれていたのと同時に、
6度の結婚離婚や、万引きで裁判沙汰になったりなど、数々の豪快なエピソードがあります。
今回はヘディ・ラマーに関して紹介していきます。
ヘディ・ラマーのプロフィール
以下、ヘディ・ラマーのプロフィールです。
名前:ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr)
本名:Hedwig Eva Maria Kiesler
生年月日:1914年11月9日
没年月日:2000年1月19日
出生地:オーストリア・ウィーン
国籍:アメリカ、オーストリア
元夫の人数:6人
子供の人数:息子2人、娘1人
父親:ユダヤ系の銀行家
母親:ピアニスト
ヘディ・ラマー17歳の時に女優デビュー
ヘディ・ラマーは若い頃から女優に憧れて、17歳の時に女優デビューしました。
そして、19歳の時には映画「春の調べ」でヒロインを務め、映画史上初めての全裸ヌードになっています。(記録上)
この映画史上初のヌードが披露された「春の調べ」は、アメリカでは上映禁止だったそうです。
そして「春の調べ」が上映された19歳の時に結婚。
結婚後には無線に関して学び、「周波数ホッピングスペクトラム拡散」という、現在のスマホや無線LANなどの通信機器に利用されている特許を取得しています。
ヘディ・ラマーは友人の命を奪ったナチスドイツを嫌っていたため、アメリカに無線の技術を役立ててほしいとの思いで一生懸命学んだそうです。
ただ、結婚生活のほうが上手くいかず、夫の嫉妬深さに我慢できなかったためにロンドンへ逃げるように飛びました。
そして、ロンドンで知り合った映画プロデューサーと結婚し、ハリウッドへ移住。この時「ヘディ・ラマー」に改名しています。
しかし、映画プロデューサーとは離婚し、その後も4人の男性と結婚・離婚を繰り返しました。
↓以下の動画はヘディ・ラマーの出演作品がまとまっています。
ヘディ・ラマーの名言の中に以下のような言葉があります。
「私がもし不幸であったならば、それは私の美貌ゆえ」
確かにこれだけ美人だと、ワガママになったり、横柄になってしまったりするのかもしれませんね…
晩年は、万引きの常習犯でもあったようで、何度も裁判を受けていたという話もあります。
いろんな意味で今でも伝説となっているヘディ・ラマー。今後も語られていくことと思います。
最後までお読み頂いてありがとうございました。
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